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A・レーモンドと諜報

研修・鑑賞・スタディ

2023.03.02

2月26日の私のblogとFacebookにイメージ・フォーラムの映画「ペーパーシティ 東京大空襲の記憶」を紹介した。
その時に空襲の効果的方法をA・レーモンドが協力したことを述べた。

「全国で200以上の都市が被災、被災人口は970万人に及んだ。
被災面積は約1億9,100万(約6万4,000ヘクタール)で、
内地全戸数の約2割にあたる約223万戸が被災した。
米国戦略爆撃調査団は30万人以上の死者、1,500万人が家を失ったとしている。 」

空襲で日本の家屋に甚大な被害を与える効果的な方法(焼夷弾使用)を
あみ出すのに協力したのがA・レーモンドである。
記録に残っている。
ドイツは石造だから爆風の爆弾で都市と人々を破壊した。

もう一つA・レーモンドには猜疑心を持っている。
秋尾沙戸子『ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後』に、
A・レーモンドについて「第二章 ある建築家の功罪と苦悩」が20ページにわたり書かれている。

スイスではミリタリー・アタッシュ(大使館付諜報武官)
1919年:ワイントンDCのミリタリー・インテリジェンス(軍諜報機関)
1921年:日本、ライトの弟子の時 ミリタリー・インテリジェンス・リザーブ(軍諜報期間予備役)
1920年:日本ではアメリカ大使館ミリタリー・アタッシュ(大使館付諜報武官)
1924年:ワイントンでミリタリー・インテリジェンス(軍諜報機関)
に属していた。
日本でのアメリカ大使館ミリタリー・アタッシュの役目も記録されている。

彼の建築はどこか暗いのはそのせいなのだろうか。
その後に明るくなったのは、
吉村順三や増沢洵などの優れた弟子たちがレーモンドの空間にあかり障子を持ち込んだからなのだろうか。
それでもやはり暗い。
トラウマになっているのか、私の空間にはあかり障子は少ない。

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