新住協理事会の前に竹橋の近代美術館の戦争協力絵画をみた。
藤田、宮本などである。
敗戦後80年、従軍画家の姿勢の確認が必要に思われる。
何でか、非戦争協力の靉光の絵が最初にあった。
戦時下の状況から、靉光は戦争画を描く事を当局より迫られ「わしにゃあ、戦争画は(よう)描けん。どがあしたら、ええんかい」と泣くようにいったという。
藤田の誘いに乗らず、将校待遇の従軍画家でなく一兵卒だった。
残念ながら敗戦の翌年の1946年1月19日、上海郊外でマラリアとアメーバ赤痢により病死した。
戦争の犠牲者は自分の画風を確立した絵描きばかりでなく、無言館の画家の卵のように数多くの画家がいる。
近代美術館の今回の展示会の名称は「記録を開く 記憶を継ぐ」と控えめだが、何に遠慮しているのだろうか。
告知も少ないし、図録もない。



























