自称「賢者の集まり」(Z00M飲み会)が毎月末にある。
6月に相模さんが境界知能の本を数冊紹介された。
その中に、
「「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか」
があった。
コミュニケーション力が豊かな相模さんでも社員や家族との問題があるのだと思った。
私は自分のコミュニケーション能力が特に欠けているのは自覚し苦労している。
松村先生は私が言っていることは秋田弁を含め殆ど分からないという。
それを関尾さんが私の喋り・話し方を理解する手立てを示してくれた。
それで松村先生は半分ほど理解ができるようになったと言われた。
「境界知能」を初めて知った。
早く知れれば自分の知能の座標軸を知れてやりようがあった。
自分のIQ知れたのは50代前半である。
私の中学時代の美術の先生を木造の浅内小学校の工事現場を案内した時だった。
とても影響を受けた先生だった。
彼は建築家になりたく大学は建築に行きたいと思っていたが、
家の事情で教育学部の美術・彫刻の方にすすみ、美術の先生になった。
話の中で長く疑問だった高校の奨学金の話になり、私は数度受けたが駄目だった。
その答えを先生は「西方はIQは86だったからな」と。
低い、家に帰り、すぐ調べたら魯鈍だとでてきた。
私は私を理解できた。
両手両足同時歩行に苦労した。
記憶の持続力がない。
思考がコラージュ・フロッタージュで脳内にある記憶の断片を繋げていく。
歌を歌えない歌ったことがない:歌詞をや音符を記憶できない
ラジオ体操や行進がみんなに合わせられない
運動会でよくスピーカで「オーイ、西方、テンポを合わせろ」
歌は口パク、スペレオパイプは吹けないから指の動きは出鱈目で皆と合っていない。
フォークダンスを踊れない。
暗算が苦手。
洋画は3度見ないと理解できない。
登場人物が多い小説は苦手。
30歳までは人前で喋れない。
まだまだ一杯ある。
「境界知能」は85以下だ。
私は86、M 先生が話で1点もってくれたのだろう。
1点差で「境界知能」でなくなる。
中学3年生で知れば良かったのか、知らないで良かったのか。
自分の知能が他人と違うのは実感できていたし、
よくここまでこれたものだと我ながら感心している。
写真の「コグレト」は苦手、恐怖だ。
「コグレト」以外の本は読んだ。
身近では認知症検査である。
球場に子供(一茂)まで忘れていく、物忘れが絶大な長嶋茂雄の認知機能はどうであったのであろうか。