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海面を7m上げる

研修・鑑賞・スタディ/見学建築・歴史・他/四季・地域色・食べ物

2022.07.25

今年の建築士会の全国大会は秋田である。
関連した会誌「建築士」2022年11月号は、
「日本の文化圏 <米代川・八郎潟流域の文化的景観>
(秋田)」(仮)を特集である。
 (企画:北尾靖雅/京都女子大学 教授

その中の特集の、
第3篇(木)の担当が私になった。
「秋田杉の歴史と木材産業による景観」(仮)4500字程度;図版写真7葉程度
 (西方里見、西方設計:4頁)

内容は思考中である。
種々ある項目の中の一つ
八郎潟が話題の中心になっているので
・中世には、海面が高く、米代川と八郎潟の間はラングーン(湖沼)状態で、
  危険な外洋を通らないで八郎潟経由の水路としての水運だった伝説がある。
 この状態を理解するのに海面を7m上げてみる。
・江戸時代は湖沼間を堀切で運河つくり、八郎潟経由で日本海に出て関西に木材を運んでいた。
・明治には、1875年(明治8年)、小坂鉱山の雇われ技術者であったハーグマイヤーは、輸入したマンスフィールド式製錬機を同鉱山に運搬する際に、船川港で積荷を平底船(50 t)に積み替え、八郎潟を横断して、地峡に沿って能代まで進んだが、「私自身この運搬コースを定めたのだが、能代までに至る八郎潟と沿岸の様子には、実際びっくりさせられた」の記録がある。

出羽北部(秋田県北)・津軽・道南を支配していた中世の蝦夷管領の秋田氏は、
米代川流域から秋田スギを関西に海運で移出していた。

(企画:北尾靖雅/京都女子大学 教授)
 2022年2月号で試行した日本
の文化圏の第2弾は秋田県を対象としました。
本特集号では、米代川流域と八郎潟/湖流域を
日本の文化圏の一つとして、
流域の生業の背景となっている地域の文化的景観を構成する要
素として
「水」、「漁」、「木」、「風」、「農」の5の観点から、明らかにしてゆく事に

より、自然と人間活動がどのように折り合いを付けようとしているのかという課題について、
本号で対象とする文化圏から具体的に明らかにしてゆくことを目指します。

 八郎潟/湖は、男鹿半島の形成とともに生まれた潟湖(汽水湖)でした。この湖は雄物川と
米代川からの土砂によって形成された。現在は男鹿半島・大潟ジオパークとなっています。
米代川流域と八郎潟は十和田湖・田沢湖ともに八郎太郎伝説の舞台となって、八郎太郎伝説は
この文化圏を象徴しています。また、この流域は日本を代表する木材である秋田杉の産地でも
あります。更に、近代の大規模な開発事業である八郎潟干拓事業の歴史では米代川からの導水
による大工業地帯と農地を建設する近代地域計画も作成されました。大地と地域の歴史が一体
化している文化圏の一つと言えるでしょう。
 そこで、米代川流域と八郎潟/湖流域を対象に、地域の自然環境などの近代化を経て、なお
自然と共存する生活の風景が存在することを地域の自然と生業の繋がりから把握することで、
持続的な地域社会の生活文化や地域の生業の継承に基づく地域形成を文化的景観の観点から具
体的に検討する視点を提供したいと考えます。
※文化的景観;地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地
で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの;以下「文化的景観」という
(文化財保護法第2条第5項)

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